ちからの住む町④~日本二十六聖人殉教地

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次に案内するのは、「日本二十六聖人殉教地」

豊臣秀吉のキリシタン禁止令により京都や大阪でとらえられた外国人宣教師6人と子供を含む日本人20名は長崎に送られ、慶長元年(1597)2月5日に、長崎西坂の地で処刑された。外国人宣教師達はキリストが処刑されたゴルゴダの丘に、ここが似ている為この地で処刑されることを希望したと言われている。
この事件の話は長崎に滞在していたルイス・フロイス神父によりヨーロッパに伝えられた。この悲しいできごとは広くヨーロッパに知れることとなり、この報告を受けたローマ教皇は涙を流し悲しまれた。そして盛大な祭典をローマで行い、26名の殉教者を聖人に列し「日本二十六聖人」と称せられたのである。



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ここは26名の殉教者の等身大のブロンズ像がはめこまれている。
中央の六名が宣教師、そして左右に日本人信徒20名が祈りを捧げながら聖なる最期を遂げた姿が表現されているそうだ。

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この日はきれいな青空。でも空の青さもこの像の前では悲しく見えた。
キリスト教が禁止されていた時代に、信仰と命を引き換えにした人たちの殉教碑。
14歳くらいの小さい子供もいたそうで、なんだか悲しいキモチになったよ。



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この記事へのコメント

ウッチー
2006年06月02日 21:30
キリスト教弾圧、日本に確かにありましたよね
だけどキリスト教徒は、南北アメリカや
アフリカあるいはアジアでも武力で制圧してきたのです
ペルーの文化も、異教徒という事で
今は遺跡しかありません。
当時の日本では信長・秀吉そして家康により
征服を逃れたといわざるをえません
殉教者との一言では片付けられない時代背景が
長崎にはありますよね。
ちょと硬くなってごめんなさい
michelle
2006年06月05日 18:38
★ウッチーさん
そうですね、こういう事は一概に片方の視点からだけ見ちゃいけないんですよね。いろんな背景があって。
「そういう時代だった」だけで済まされない歴史がたくさんあります。
私自身、歴史に疎くて勉強不足ですが、今更ながらにいろんなことに興味が湧いてきたので勉強ではなくて、自分のためにいろんな歴史書や資料を読んでいこうと思いました。
ひろ
2008年06月02日 00:09
上記に、

豊臣秀吉のキリシタン禁止令により京都や大阪でとらえられた
外国人宣教師6人と子供を含む日本人20名は長崎に送られ、
慶長元年(1597)2月5日に、長崎西坂の地で処刑された。

と記述されておりますが、

正しくは、日本二十六聖人殉教は

  (和暦)  慶長元年12月19日
  (西暦)  1597年02月05日

なのです。

上記のように和暦と西暦の日付がごちゃ混ぜになって
いる表記の仕方は混乱のもとですので、訂正をお願い
いたします。

以上